パスカルズインタビュー



パスカルズインタビュー / インタビュー・テキスト:本田琢也 パスカルズメンバー表
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ロケット・マツ:1956年 東京生まれ。
数多くのミュージシャンのバックを勤める、
演奏家・ 作曲家。パスカルズのバンドマスター。

―マツさんは音楽のキャリアはTHE CONXが最初でしょうか?

ロケット・マツ:そうですね、レコード会社からレコードを出したのは、THE CONXが最初です。アナログレコードの時代ですけど。もともとピアノとか弾けなくて、小さい頃にちょっとはやっていたんですけど、バイエルでやめちゃって。そのうちニューオーリンズの音楽をやりたくて、またピアノを弾きたくなって。
当時はシェーキーズっていうピザハウスが今よりもっと日本にあったんです。そこには生バンドが入っていて、その中にディキシーランド・ジャズの名人のおじさんがいて、その人にピアノを教わりたくて行ったんですよ。そうしたら「君は明日から横須賀店に入りなさい。」って言われて(笑) その人は赤坂店かどこかにいたので結局教わる機会は無く、(当時住んでいた)国分寺から横須賀まで毎日通って、怒られながらインチキでなんとなくやっているうちに縁があって、高田渡さんが「僕の後ろで弾きなさい」って言ってくれたんですよ。

―高田渡さんとの出会いはライブハウスですか?

ロケット・マツ:詳しく言うとシェーキーズでバンジョーを弾いていた小林きよしさん(現在はウクレレ奏者として活躍中)が高田さんのバックのバンドをやっていて、その繋がりでというのはありますね。19歳の頃シェーキーズでやっていて、2年後くらいなので20歳か21歳くらいかなぁ。その時でもまだこうやって(人差し指で)弾いていたんです(笑)でも高田さんはそんなに難しいコードは無いんで。そこからTHE CONXに繋がっていくんですけど、なんというかめちゃくちゃな…。

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―当時のシェーキーズは有能なミュージシャンがいっぱいいたんですね?

ロケット・マツ:THE CONXのボーカルもシェーキーズにいたからシェーキーズのおかげかもしれないね(笑)

トクマルシューゴ:(パスカルズ ギターの)金井さんもTHE CONXにいたんですよね?

ロケット・マツ:THE CONXの時は、金井君はレギュラーっていうよりも、一時期のギタリストです。彼は彼でパンクバンドをやっていて、ギターがすごく良くて。彼とはその頃からの付き合いですね。

トクマル:それは20代の頃ですか?

ロケット・マツ:22,3歳~26,7歳ぐらいまでかな。

トクマル:70年代からいろんなミュージシャンのバックをやっていて、幅広い音楽のバックグラウンドを持っている印象があるんですが、その頃に培ったものなんですか?

ロケット・マツ:そうですね。自分はジャズは出来ないし、(パスカルズ バンジョーの)原さんみたいにカントリーやブルーグラスもできないし、でもそれで出会った、友部(正人)さんも高田(渡)さんも4拍子をちゃんとしていなくて、大工(哲弘)さんも拍子は揃えないし、今でもやっている友川(カズキ)さんも拍子が全くないし、そういう人達となんか縁があったんですよね。面白い人とばっかりやってきて、あんまりきちんとした人に出会わなかったのが良かったのか悪かったのか(笑)

トクマル:80年代後半にはタイマーズに参加していたりしますよね。今もyoutubeとかに映像が残っているんですけど。

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ザ・タイマーズ『Day Dream Believer』(1989)
忌野清志郎によく似たZERRYが率いる過激な覆面バンド。

ロケット・マツ:あー、フジテレビの?

トクマル:忌野清志郎さんはマツさんから見てどういう人だったんですか?

ロケット・マツ:もともとTHE CONXが"りぼん"っていう、事務所に属していたんですよ。RCサクセションがすごくブレイクする、その時期でした。
そういう関係もあって、後々になりますが『Day Dream Believer』のアコーディオンを録音する時に呼ばれたりしたんですけど、フジテレビのあの時はたまたまいたっていう感じです。(笑)
清志郎さんはやっぱり大好きです。札幌のすごく大きい球場に、小山卓治君のバッキングでCONXで出たのですが、サザン・オールスターズとRCサクセションも出ていました。そこで初めてRCを観たんですが、なんか本当に、国分寺とか国立の景色をありありと空気で感じられて。(自分はそこで育っているのですが、)やっぱそういうのってすごいなって、清志郎さんやRCサクセションには思いましたね。自分の好きな音楽って景色とか空気とかをリアルに伝えてくれるような音楽なんです。

パスカルズインタビュー

―その後ぐらいですよね、パスカルズが始まるのは。

ロケット・マツ:1995年なんですよね、パスカルズを初めてやったのは。

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パスカル・コムラード(1955-)フランスの作曲家。
玩具や非楽器を用いた前衛的な楽曲も多く、
様々なミュージシャンに多大な影響を与えている。

―パスカル・コムラードをカバーされてましたけど、もともとフランスの作曲家が好きだったんですか?

ロケット・マツ:いや、あんまりそういうのは無いんですけど。80年代半ばに原宿のセントラルアパートに面白いレコード屋さんがあって、そこでエリック・サティをパスカル・コムラードがカバーしているすごいサイケな感じのが曲がかかっていて、あっいいなと思って、カウンターの人に「今かかっているレコード欲しいんですけど」って言ったら、「良かったですね、次ので終わりなんですけど、今、細野晴臣さんが買ってきましたよ」って言われて、細野さんの事はニューオーリンズ系の音楽で大ファンだったので、うわぁとか思って。
パスカルズを初めて演奏した時は、友達にイベントでなんかやってくれって言われたので、周りの知っている人達でパスカル・コムラードの曲等を中心にカバーしようとやってみたのが始まりです。特にバンドを続けようって意志はありませんでした。

―そこからどのようにして、実際にパスカル・コムラードさんの元へと繋がっていったんですか?

ロケット・マツ:パスカルさんが、ダンス集団のコンドルズの音楽で日本に来ていた時にSTAR PINE'S CAFEでライブがあったんですよ。その頃一枚目が出ていたのでCDを渡そうかと(パスカルズ バイオリンの)松井さんとライブを観に行って。いざ渡すってなったら、やめようかなぁって引っ込み思案な感じになっちゃうんですけど、結局、後押しされて挨拶して、CDを渡したんです。そしたら、パスカルさんが向こうに帰ってから、これフランスで出した方が良いよってレーベルの人に言ってくれたらしくて、FAXが来て。

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―初めて演奏した時は何人編成だったんですか?

ロケット・マツ:7人くらいですね。

クリスチィヌ(バイオリン):私は2回目から参加だったので、その時は聴いてました。

原さとし(バンジョー):僕は(パスカルズ ギターの)太郎さんが一回辞めて、その代わりに。

ロケット・マツ:原君が参加して何年だろう…、でも原君が一番最後に入ったんだよね。まだジァン・ジァンがあった頃だからもう十年以上はとっくに経っているよね。

※渋谷ジァン・ジァン:渋谷公園通り沿いの山手教会地下(現在は「Cafe Miyama」のある場所)にあった小劇場で。2000年頃まで営業。

原さとし:(2001年にレンヌで開催された)トランス・ミュージカルフェスティバルの時は、パスカルズに入ってたけど行かなかったのか、どっちかな。

ロケット・マツ:一緒にヨーロッパツアーに行ってなかったかもしれないけど、録音とか参加しているはずだから。"またたび予告篇"(アルバム『どですかでん』収録)はやったじゃん?あれはレンヌの前だから。

原さとし:そうだっけ?じゃあレンヌはパスカルズに入ってたけど行かなかったんだ。

クリスチィヌ:フランスで出した『abiento』に、原君の顔は入ってますよね。

ロケット・マツ:そうそうそう、合成したりした。

一同(笑)

ロケット・マツ:細かい事、突っ込まれるとボロがいっぱいあるから。今いないメンバーが今でも写真に写ってたりとか(笑)

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